Quduqa Beki
A 13th century Oirat ruler

Quduqa Beki

The basics
Quick facts
Intro
A 13th century Oirat ruler
Gender:
Male
Places:
Work field:
Biography menu
Menu

Jump to

Introduction 概要 オイラト部クドカ・ベキ王家 延安公主 脚注
The details
Biography

Introduction

クドカ・ベキ(モンゴル語: Quduqa Beki,中国語: 忽都合別乞,? - ?)は、13世紀初頭にチンギス・カンに仕えたオイラト部族長。『モンゴル秘史』などの漢文史料では忽都合別乞(hūdōuhébiéqǐ)、『集史』などのペルシア語史料ではقوتوق بیكی(qūtūqa bīkī)と記される。クトゥカ・ベキとも。

クドカ・ベキの一族はチンギス・カン家と密接な姻戚関係を構築し、第四代皇帝モンケ・カーンの治世にはモンゴル帝国における最大の姻族に成長したが、モンケ死後に勃発した帝位継承戦争を境に姻族としての地位は低下した。15世紀以後史料上に現れる、ドルベン・オイラト(4オイラト部族連合)に属するホイト部の支配者はクドカ・ベキの子孫を称しており、クドカ・ベキ一族の後裔であると見られている。

概要

『集史』「オイラト部族史」には「[オイラト部族は]常に一人の支配者、一人の首長を持っていた」と記されており、クドカ・ベキは12世紀末から13世紀初頭にかけてのオイラト部族唯一の長であった。

クドカ・ベキが史料上に現れ始めるのは1202年からのことで、この時クドカ・ベキはオイラト軍を率いてナイマン部のタヤン・カン、メルキト部のトクトア・ベキらとともに同盟軍を結成し、モンゴル部のチンギス・カンとケレイト部のオン・カンの連合軍に敵対したが、寒気のためこの時は目的を達さず退却した。

この後、チンギス・カンは敵対する部族を各個撃破し、同盟軍たるケレイト部をも打倒し、最終的にナイマン部を征服することで1206年にモンゴル高原の統一を果たした。この時点でオイラト部のクドカ・ベキは未だチンギス・カンに服属していなかったが、1208年にモンゴル高原西北部の「ホイン・イルゲン(森林の民)」征服が始まるとクドカ・ベキは率先して降伏し、ホイン・イルゲンの征服を手伝った。

チンギス・カンはこのクドカ・ベキの功績を称えて「[クドカ・ベキこそ]先に帰順して、万のオイラトを率いてきた者ぞ」と語り、その地位を保証するとともに自らの娘チチェゲンをクドカ・ベキの息子トレルチに嫁がせた。なお、トレルチとチチェゲンの婚姻はクドカ・ベキの娘オグルトトミシュとチンギス・カンの息子トゥルイの婚姻とあわせて「姉妹交換婚」になる予定であったが、正式にオグルトトミシュを娶る前にトゥルイが亡くなったため、代わりにトゥルイの長子モンケがオグルトトミシュを娶ることになった。しかし、オグルトトミシュとモンケの婚姻が切っ掛けとなってモンケの治世においてクドカ・ベキ家は姻族としての大幅な勢力拡大に成功することとなる。

この後のクドカ・ベキの事蹟と没年については記録がない。17世紀以後に編纂されたモンゴル年代記、『シラ・トージ』ではホイト部の首領がクドカ・ベキの後裔であると述べられており、クドカ・ベキの血統ははるか後代にまで存続していたことが確認される。

オイラト部クドカ・ベキ王家

  • クドカ・ベキ(Quduqa Beki >忽都合別乞/hūdōuhébiéqǐ,قوتوق بیكی/qūtūqa bīkī)…オイラト部の統治者で、チンギス・カンに降る
    • イナルチ(Inalči >亦納勒赤/yìnàlèchì,اینالجی/īnāljī)…ジョチの娘コルイ・エゲチを娶る
      • ウルド(Urdu >اولدو/ūldū)
        • ニグベイ(Nigübei >نیكبی/nīkbei)
        • アク・テムル(Aq Temür >اقو تیمور/āqū tīmūr)
    • トレルチ・キュレゲン(Törelči >脱劣勒赤/tuōlièlèchì,تورالجی كوركان/tūrāljī kūrkān)…チンギス・カンの娘チチェゲンを娶る
      • ブカ・テムル(Buqa Temür >بوكا تیمور/būqā tīmūr)
        • チョバン・キュレゲン(Čoban >جوبان كوركان/jūban kūrkān)…アリク・ブケの娘ノムガンを娶る
        • チャキル・キュレゲン(Čakir >جاقر كوركان/jāqir kūrkān)…フレグの娘モングルゲンを娶る
          • タラカイ・キュレゲン(Taraqai >ترقای كوركان/taraqāī kūrkān)…父チャキルの死後、フレグの娘モングルゲンをレヴィレート婚で娶った
        • ノルン・カトン(Nölün qatun >نولون خاتون/nūlūn khātūn)…フレグの息子ジョムクルに嫁ぐ
      • ブルトア・キュレゲン(Burto'a >بورتوا/būrtūā)…名称は不明だが、チンギス・カン家の女性を娶る
      • バルス・ブカ・キュレゲン(Bars buqa >بارس بوقا/bārs būqā)…アリク・ブケの娘エル・テムルを娶る
        • ベクレミシュ・キュレゲン(Beklemiš >別里迷失/biélǐmíshī,بیكلمیش/bīklamīsh)…名称は不明だが、チンギス・カン家の女性を娶る
        • シーラップ・キュレゲン(Širap >沙藍/shālán,شیراپ/shīrāp)…名称は不明だが、チンギス・カン家の女性を娶る
        • エメゲン・カトン(Emegen qatun >امكان خاتون/āmkān khātūn)…アリク・ブケ家のメリク・テムルに嫁ぐ
      • エルチクミシュ・カトン(El čiqmiš qatun >یلجیقمیش خاتون/īljīqmīsh khātūn)…トゥルイ家のアリク・ブケに嫁ぐ
      • クイク・カトン(Küik qatun >كویك خاتون/kūīk khātūn)…トゥルイ家のフレグに嫁ぐ
      • オルガナ・カトンOrγana qatun >اورقنه خاتون/ūrqana khātūn)…チャガタイ家のカラ・フレグに嫁ぐ
      • クチュ・カトン(Küčü qatun >كوجو خاتون/kūjū khātūn)…ジョチ家のトコカンに嫁ぐ
      • オルジェイ・カトン(öiǰei qatun >اولجای خاتون/Ūljāī khātūn)…トゥルイ家のフレグに嫁ぐ
    • オグルトトミシュOγul tutmiš >اوغول توتمیش/ūghūl tūtmīsh)…トゥルイ家のモンケ・カーンに嫁ぐ

延安公主

  1. コルイ・エゲチ公主(Qolui egeči >火魯/huŏlŭ,قولوی یکاجی/qūlūy īkājī)…ジョチの娘で、イナルチに嫁ぐ
  2. チチェゲン公主(Čičegen >闊闊干,جیجاکان/jījākān)…チンギス・カンの娘で、トレルチに嫁ぐ
  3. トクトクイ公主(Toqtoqui >脱脱灰/tuōtuōhuī)…クビライ・カーンの孫娘で、トゥマンダルに嫁ぐ
  4. □□公主…名前や出自は伝わっていないが、ベクレミシュに嫁ぐ
  5. □□公主…名前や出自は伝わっていないが、シーラップに嫁ぐ
  6. 延安公主…名前や出自は伝わっていないが、延安王エブゲンに嫁ぐ

『元史』に記載のないクドカ・ベキ家に嫁いだチンギス・カン家の女性

  1. エル・テムル(El temür >یلتمور/īltemūr)…トゥルイの娘で、バルス・ブカに嫁ぐ
  2. エル・テムル(Möngülügen >منکولوقان/munkūlūkān)…フレグの娘で、チャキル、タラカイ父子に嫁ぐ
  3. ノムガン(Nomuγan >نوموغان/Nūmūghān)…アリク・ブケの娘で、チョバンに嫁ぐ

脚注

  1. ^ 志茂2013,773頁
  2. ^ なお、『モンゴル秘史』はこの事件を「酉の年(1201年)」のこととしているが、『モンゴル秘史』は物語的要素が強く信憑性が低いため、1202年のこととする『集史』の記述が正しいと考えられる(岡田2010,358頁/村上1970,316-317頁)
  3. ^ 岡田2010,356-357頁
  4. ^ 村上1976,87-88頁
  5. ^ 村上1976,89頁
  6. ^ 宇野1993,84-85頁
  7. ^ 岡田2010,376頁