拜住 (元英宗)
politicus

拜住 (元英宗)

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politicus
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Birth:
1298
Death:
1323
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Biography

Introduction

バイジュ(拝住、1298年1323年)は、元朝中国末期の重臣。モンゴルジャライル部の出身。元朝初期の功臣・ムカリの子孫で、フビライ時代の右丞相アントンの孫にあたる。

生涯

幼いときに孤児となり、至大元年(1308年)に宿衛の長となる。アユルバルワダが皇帝即位後の延祐2年(1316年)に資善大夫・太常礼儀院使となり、延祐6年に開府儀同三司に昇進する。シデバラが皇帝に即位すると、中書平章政事となって政治の枢機に参与し、さらに昇進して中書左丞相になる。その頃、中書右丞相にコンギラト部族の重鎮テムデルが政治を壟断していたが、拝住はコンギラト派を抑えるためにシデバラに重用され、テムデル死後は三公に昇進されるところを、拝住は辞退した。テムデルの義子(養子)である御史大夫テクシイェスン・テムルを擁立して勢力の巻き返しをはかり、上都から大都へ帰還するシデバラを暗殺したときに、帝の側にいた拝住も殺された。至治3年(1323年9月4日)のことである。テクシが誅殺された後に、拝住はその忠節を賞され太子開府儀同三司上柱国を追贈され、東平公に封ぜられ、忠献と追諡された。一子の篤麟は後に明朝に投降し、陝西省大茘県に移住した。子孫は、その地の有力者になったといわれる。

参考文献

  • 『元史』巻136
  • 『新元史』巻183