
The basics
Quick facts
Gender:
Male
Birth:
1889
Death:
1944
The details
Biography
Introduction
事績
東三省武備学堂で学ぶ。1911年(宣統3年)の灤州起義では、馮玉祥配下で排長をつとめた。中華民国成立後も、馮玉祥率いる第16混成旅、第11師で順調に昇進している。1924年(民国13年)には旅長となった。
1926年(民国15年)7月、張維璽は西北軍第13師師長となる。同年12月には第13軍軍長、1927年(民国16年)には第13路総司令、1928年(民国17年)には第6方面軍総指揮と歴任した。1930年(民国19年)の中原大戦では、馮玉祥配下で第7路軍総指揮兼第8軍軍長、南路総司令などを務めた。敗北後、張は陸軍大学特別班で学習するなどしたが、総じて不遇を託つこととなる。
1943年(民国32年)、国民軍以来の僚友孫良誠とともに、南京国民政府(汪兆銘政権)に投降した。張維璽は開封綏靖公署副主任、第2方面軍副総司令として孫を補佐する。しかし、後にある友人から叱責を受けたために、張は羞恥を覚え、わずか3ヶ月で辞任したという。ただし、張は父・妻を日本側に拘束され、脅迫を受けながらも、これら職位への就任はあくまで拒んだとの説もある。
1944年(民国33年)、病没。享年56。なお、死亡地点と死因も説が別れており、汪兆銘政権に投降したとの説では「天津で病死」、拒否したとの説では「江蘇省泰州で病死(日本側による毒殺説あり)」となっている。
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 李恵蘭・薛鳳「張維璽熱心事前」『今晩報』2014年3月1日、13頁。
